旅の思い出_その2,広島県福山市から山口県萩市へ♫

5月4日朝8時ホテルを出て福山市鞆の浦へ。その昔、西日本の海上交通の要所であった鞆の浦は、軍事的にも重要な場所と言われていた。そのため長い間戦乱に巻き込まれ続けた歴史を持つ。
足利は鞆に興り、鞆に滅ぶ。
足利尊氏から15代将軍足利義昭まで二百年以上に渡って続いた「室町幕府」は、ここ鞆の浦で天皇からの命令書である院宣を尊氏から受け取ったことから始まった。また、最後の将軍義昭は、織田信長によって京を追放され、鞆の浦で毛利氏の加護のもと「鞆幕府」を開きましたが、結局滅んた。そのため「足利は鞆に興り、鞆に滅ぶ」といわれている。この他にも鞆の浦では、源平合戦の悲劇「鞆女郎」、「山中鹿ノ助」の壮絶な生きざまが有名である。(福山市ホームページより転載)
歴史の重みを感じる石段。
瀬戸内海の珍しい地形と潮の満干が原因で潮流の逆転現象が起こる。その潮が出会い別れる場所に鞆の浦という天然の良港があったため、そこで潮の流れが変るのを待つことを「潮待ち」と呼ばれていた。そして、このことが二千年に渡って鞆の浦を繁栄させた。(福山市ホームページより転載)
1867年(慶応3年) 坂本龍馬ら海援隊の乗船している「いろは丸」と紀州藩の船が鞆の浦沖で衝突し「いろは丸」が沈没した事件の交渉場所となった場所。
午後4時福山市を後に、萩市へ。松陰神社を500m前にして、渋滞に。珍しい橋の形を発見し、写真を一枚。
松下村塾の学習室(待合のスペース)ここで、講義が始まるまで待ったとガイドボランティアの方から説明を受けた。
ここが講義室。松陰は、朝まで本を読むことも多く、講義中眠ってしまうこともあったという。その時塾生達は、各々勉学に励んだという。この場の空気感に触れ、感動した言葉がある。それは「志をたて、以て全ての源となす」。吉田松陰の「君はどんな志を持っていますか」「何のために学んでいますか」という声が聞こえてきそうである。
高杉晋作の居宅跡。子孫は東京に在住とのこと。時世の句「おもしろきことなき、この世を面白く、すみなすものは心なりけり」は有名である。
幕末を駆け抜けた天才。もし現代に生きていたら、とんでもない遊び人、もしくは政治家になっているのでは・・・と想像を膨らましてみる。
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